東北地方太平洋沖地震

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被災された方へ心よりお見舞い申し上げます。行方不明の方の所在が明らかになりますよう。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

2011年3月11日午後、ぼくは都内六本木界隈のオフィスビルの10Fにいました。はじめに縦揺れ、しばらくして横揺れがきたことから直下型ではなく離れたところに震源があるというのはすぐに分かったものの、その揺れは尋常ではなく強烈なものでした。インターネット上の情報では、震源は東北地方とのこと。ビルの揺れが収まるか収まらないかと言ったタイミングで、全館に火災報知器の警報音が鳴動しました。地震と火災というのは避難訓練でよくあるシチュエーションで、フロア内の誰もがピンとこない様子でしたが、これは本物。訓練ではありません。館内複数箇所の警報装置が異常を検知しているということで、館内の全員に避難命令が下りました。非常階段で屋外の公園に避難をしたのですが、外に出ると携帯電話は通じず、携帯端末でのインターネット接続も全く通じなかったので、避難中はワンセグテレビと漏れ聞こえるうわさ話、港区からの「大津波警報が発令されているので高台へ避難を」という放送以外には、ほとんど情報を得ることができませんでした。携帯がなかなかつながらない中、奥さんと実家の母とはなんとか連絡がついて、割と早いタイミングでお互いの無事を確認できたのは幸運でした。

ビル内の安全が確認されたということで再び非常階段でオフィスに戻りましたが、余震が続く中では仕事が手につきませんでした。勤め先全社員の安否確認が取れた時点で勤め先からの帰宅許可が出ましたが交通機関が完全ストップしているので、この時点で取りうる手段は交通機関の復旧までオフィスで待つ(一夜を過ごすことになるかも)か、自宅まで歩いて帰るかという二者択一でした。この時点では、また通信手段を失うのも怖いので交通機関復旧を待とうと思ってたのですが、なんと自宅が地震発生以来ずっと停電が続いているとのこと。2歳、0歳の子どもと犬を抱えて暗闇の中というのはまずいと思い、予定を変更して歩いて帰ろうと思いました。Googleで調べたところ、徒歩だと3時間52分の道のり・・・。しかも首都圏にいる人は勤務先にとどまるようにとのアナウンスが出たので迷ったのですが、意を決して20時頃にオフィスを出発しました。出発前に家族の分の食料と道中の水分補給用に暖かい紅茶を用意しましたが、非常事態で万引きしようと思えばいくらでもできる状況なのにレジに整然と並ぶ人々の姿には感動すら覚えました。

六本木通りから246号線をひたすら下り方面へ歩き続ける人の波。六本木交差点、渋谷駅前、三軒茶屋と歩き続けます。ここでもみんな列をなし、黙々と歩き続けます。途中で暖かい飲み物や食べ物を提供してくれる飲食店や、小学校の校庭とトイレを休憩所として開放してます、と呼び込んでくれるボランティアの方などもいらっしゃって、言葉にならない安心感や、同じ日本人としての自信や誇りを感じました。3時間ほど歩いて二子玉川の手前まできた時に電車の復旧を知らされ、そこからは電車で移動することができました。結局、日付が変わる前に家族と合流でき、停電もほぼ同じタイミングで復旧したので家族みんなで過ごすことができました。

個人的には1995年の阪神大震災の時に京都市内で震度5を経験したのに続き、今回で2度目の震度5でした。このブログを書いている時点で津波注意報は継続していますし、当分の間余震が続くと思います。被害の全容解明もままならないこの状況、そうとう長期にわたる戦いが予想されます。自分も含め、運良く被害地域外に暮らす方々は節電や寄付などできることをやりましょう。日常生活、日常業務をこれまで通りに継続するということも必要でしょう。逆に出所の確かでない情報を安易に広めたり、最前線での現地活動をじゃましないよう、自重が求められます。今私たちがやるべきこと、やってはいけないことについては次の記事がためになると思いましたので紹介しておきます。

未曾有の災害のときに
「東日本巨大地震」への一般の方々でしてはいけない支援について