オリンピックの思い出

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もうすぐ北京オリンピックが開幕しますね。ぼくにとっての「思い出に残るオリンピック名場面」といえば、長野オリンピックのスキージャンプです。すみません、冬のオリンピックです。個人で金メダルを獲得した船木選手のジャンプでは、飛距離もさることながら飛型点で審査員全員が満点を出すといった奇跡的な出来事も起こりました。しかし世の中的に有名なのは、やはり団体戦でしょうね。直前のワールドカップでも無敵を誇っていた日本チームは、金メダルが確実だといわれていました。
ひとり暮らしのアパートで、生中継でずっと見ていました。原田選手の1回目、いわゆる「失敗ジャンプ」ですが、あのときは天候が最悪、テレビでも視界のすべてが白くかすんでいるような猛吹雪の中で、アプローチの斜面にもどんどん雪が積もって全く助走スピードが上がらない状態。あの時間帯は、実は原田選手だけでなく各国の選手が軒並み全く飛距離が出ない状態だったのです。しかし「金メダル確実」といわれていた日本チームが、1回目を終えてまさかの4位。2回目までのインターバル期間中は「まさか・・・」「もうだめだ・・・」「なんでだよ・・・」何ともいえない陰鬱な空気が長野県内全域を覆い尽くしていましたw
吹雪で競技が中断となっている間、一時は中止も検討されていたようです。しかし元日本代表の西方選手たちテストジャンパーが「日本は勝てる。必ず逆転する。だからなんとしても競技を中止させるな、まだ飛べる。競技は続けられる」という事をアピールするため、普通なら飛ばないような悪天候の中、ひたすらテストジャンプを続けたそうです。
そんな思いが天に届いたのか、2回目が始まります。2回目は日本チームの4人ともすばらしいジャンプを見せてくれましたが、なかでも特筆したいのは1人目の岡部選手です。1回目を終わって4位という絶望的な逆境の中、なんと137mという最長不倒をマークして一気にトップに返り咲いたのです。あれで日本チームは息を吹き返しましたね。原田選手の137mは、リレハンメルの悪夢を振り切るための、神様からのご褒美なのかもしれません。当時ワールドカップ表彰台常連だった船木選手が、最後はめずらしく125mという(彼にしては)平凡なジャンプだったのが、オリンピック金メダルのプレッシャーのすごさを物語っています。なんにせよ、紆余曲折を経て獲得した団体金メダル。いやー未だに感動的です。泣ける。