父の死を振り返る

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父の死について落ち着いたら書こうと思っていたら、1年以上経ってしまいました。今書く理由もないのですが、ここらでちょっとまとめておきます。

2007年7月31日
9時50分 客先へ直行し待ち合わせていたところ、母から携帯へ電話あり。本日中に帰省するようにとのこと。同行の上司に伝え、出先から自宅ヘとんぼ返り。帰路で兄、母、妻と連絡を取り合う。すでに新幹線の予約があったので、新幹線かクルマか悩む。犬は置いきてほしいということで、預け先を探す。犬を奥さんの実家で預かってもらうことが決定。そうすると奥さんの実家まではクルマでケージなど一式を運ぶ必要がある。礼服と靴、着替えを持って帰ることを考えると電車はキツイし、再び奥さんの実家から自宅に戻る時間を考えるともったいないので、自宅〜奥さんの実家〜自分の実家までクルマで動くことを決意。早退した妻と自宅で待ち合わせ。
13時30分 自宅出発
15時00分 奥さんの実家着
16時30分 奥さんの実家発
22時50分 病院着
父に到着を伝え、しばらく一緒に過ごす。その後帰宅、就寝。

2007年8月1日
9時すぎ 起床。容態は落ち着いているということなので、ワープロで訃報の文章を用意してから昼過ぎにお見舞いへ。父、妻と一緒に昼寝。夕方は晩ご飯の買い物へ出かけ、豚肉の生姜焼きを準備。買い物からの帰宅後、再び病院の母の元へ移動。
19時15分頃 兄と交代で帰宅。
19時30分〜20時過ぎ 食事を済ませ、すこし落ち着く。
20時15分頃 兄から電話。血圧が下がってきているので家族が集まった方がよいとのこと。ダッシュでクルマを取りにゆき、母、妻と3人で移動。病院まで最後の交差点を曲がるところで兄から再度電話。とっさに下の駐車場では遅いと判断し、母と妻を病院の玄関で降ろして先に行ってもらう。Uターンしてクルマを下の駐車場に移動し、病室に駆けつけた時にはすでに父の呼吸は止まっていた。最後の数十分を家族全員で過ごした。
20時57分、当直の医師により死亡が確認された。亡くなった父の目には涙がにじんでいた。少し苦しかったのだろうか。母が連絡し、葬儀会社が迎えに来る。
23時30分家族全員で病院を離れる。夜は兄が付き添う。ぼくは訃報の文章を完成させてから3時30分に就寝した。

2007年8月2日
10時に葬儀会社の担当者と打ち合わせ。
その後死亡届を区役所に提出。一旦帰宅し昼食を済ませる。
16時枕経(仮通夜)。
夜はぼくが付き添う。
父はまだ布団で寝ている。

2007年8月3日
14時納棺。
18時通夜。
19時通夜ぶるまい。
夜はぼくと妻が付き添う。

2007年8月4日
10時葬儀、告別式。
荼毘に付される。足の骨が丈夫で、焼いても崩れなかった。対照的に上半身は抗がん剤と放射線治療の影響か、ボロボロになっている。つらい治療だったに違いない。
13時初七日法要。
14時30分精進おとし。
ようやく父と一緒に帰宅できた。

2007年8月5日
ひとやすみ。後にどんな手続きが必要なのか整理する。

2007年8月6日
疲れが出たのか、なかなか目が覚めない。取引先金融機関へ死亡報告と口座振替先変更の書類を取りにゆく。電話で各種名義変更と口座振替先変更の連絡。NTTだけ除籍謄本などやたら面倒。NTT解約したい。近所の洋菓子店でクッキー詰め合わせを購入し、午後に病院へお礼と挨拶。担当してくださった先生と看護士が揃っていらっしゃったので直接挨拶ができた。運がいい。

おわりに
父は最後まで自力で呼吸し、眠るように息を引き取った。人生の最後の1ヵ月をあれだけ穏やかに、充実したものにしてくれた日本バプテスト病院ホスピス科のケアは見事だった。それに比べて、京大はあまりに無力だった。自分もボランティアをしてお返ししなければと思う。聖書を読んでみよう。